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そろそろ本分へ。

そう、ここは本来猫のブログなのです。
2にゃんずは日々のお留守番に耐え、夜にはベタベタの甘えんぼ猫になり、
元気に飛び回っています。
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by siesta_cat | 2008-05-26 11:18

合言葉は「オキナワ」

父の住むマンションは2階、しかもエレベーターなし。
なんとしても歩けるようになって、階段を昇り降りできるようにならなくては。
父にもその気持ちがあるので、熱心にリハビリを続けている。
聞いた話だが、リハビリの中には子供がするような作業もあり、「こんな子供みたいな事できるか!」と怒る人もいるとか。たしかに父がしているリハビリにもそんなのはある。
輪投げの輪を先生の腕に通したり、中腰になって台の上に置いたり。
でも父は「これはトイレに自分で行くにはかかせないんだぞ。中腰って大変なんだから」と自分で何に必要か、考えながらやっているようだ。
おぼつかなかった足も、少しづつ歩けるようになってきて、歩く姿は誇らしげ。
でも、貧血気味なので、倒れたら危険ということで、歩行は先生がいるときだけ。
その他のとき、家族が付いていれば車椅子で移動しても良いと許可が出た。
午後、ちょっと日が陰って涼しくなった頃、母と3人でベランダにお散歩へ。
やっぱり外の空気は気持ちいいね~~。

父には退院後に大きな夢がある。それは「沖縄」。
実は父が倒れた日の1週間後、私たちと4人で沖縄へ行く予定だったのだ。
Sちゃんのリフレッシュ休暇、私たちの結婚●周年、父の喜寿、母の退職・・・
それらを記念し、お祝いのための旅行だった。
父の希望したホテルを予約し、私たちの行きたかった宮古島へも渡り、
10日間の旅行の予定だった。
意識がしっかりしだした頃、父から「沖縄はどうした?」と聞かれた。
「うん、治ってから行くことにしたから。今回はやめにしたよ」
「そうか・・・Sくんに悪かったな。」
「ううん、大丈夫。Sちゃんはゼッタイ親父さんと行きたいって言ってるから」
「そうか・・・沖縄、行かれるかなぁ」
「行かれるよ!無理のないプラン作るから。」
「そうだな、沖縄、行くか。」
それからは事あるごとに話題にする。こんなにも沖縄行きを楽しみにしていたんだね。
この沖縄へ旅行に行きたい、という事がすごく励みにもなっているようで、
先生や看護婦さんにも「沖縄へ行くんだ」と話している。
父のリハビリの目標は「帰宅」と「沖縄」。

こんなに大きな目標があったら、励まずにはいられないね。

ゴハンはミキサー食からきざみ食へ。ちょっと形がわかるようになってきた。
リハビリはいよいよ「階段」へ。最初の一段は「手すりにぶらさがっていた」そうだ。

ベランダにて。
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by siesta_cat | 2008-05-26 10:23

リハビリ開始。

5月16日
昨夜はとてもよく眠れたそうだ。胴と手の抑制がなかったためだろう。
「またチューブとか抜こうとしたら縛られちゃうよ」というと
「それは正気じゃない時のハナシ。今はちゃんとわかってるから大丈夫」と
まっとうなお答え。

父は3つのリハビリを平行してやっていくことになる。大まかには
・足のリハビリ
 長い間ベットの上にいたため、全身の筋力が落ちている。
 特に足の筋力をつけて、立って歩けるようにする。
・手のリハビリ
 上がらなくなった肩や腕の稼動域を戻す。
・言葉・飲み込みのリハビリ
 父の場合は飲み込み。
それぞれの担当の先生が代わる代わる父のベットを訪れ
話したり、ベットの上で手や足を動かしたりして現状を見る。
特に食べ物を飲み込むことは特に慎重に進めていかなくてはならないということだ。

5月18日
鼻の栄養チューブが抜かれる。口から食べる訓練が開始されるから。
最初のうちは口からの栄養摂取は微々たるものなので点滴を再開。
うっとおしかった鼻チューブが抜けてせいせいしたね。
先生つきっきりで、まず水から飲んでみる。
その水には少し「とろみ」がついている。
このちょっとしたとろみがムセを防ぎ、誤嚥を防ぐ。
このとろみをつけるものは介護用品で、
暖かいものも冷たいものも混ぜるだけでとろみがつく。すごいね~~!

5月19日
喉についていた呼吸器が外れた。
機械が外れたあとは穴があいていて、その穴は自然に塞がるそうだ。
ゴハンもミキサー食が食べられるようになった。
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食事のあとの歯磨きの水も「とろみ」つき。
ここまで徹底していると、誤嚥の心配はかなり減る。

運動のリハビリも、2階のリハビリ室で本格的に始まっている。
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by siesta_cat | 2008-05-26 09:25

転院。

5月15日(木)
10時に出発予定なので、9時前には病院に行って引越し準備。
前日にほとんどのものを車のトランクに移しておいたから、楽勝~なんて
思っていたが・・・甘かった。
ギリギリになって「トイレ」と言い出し、看護婦さんにお世話をかけ、
出ていた必要最小限の荷物もけっこうあり、もろもろを袋に詰め込み、
9時30分には別棟1階へ入院費の精算に行き・・・忙しいったら。
なんとか片づけを終え、いよいよご本人の移動になる。
病院の寝台車を用意してくれてあったので、運転手さんと看護婦さんで
父を寝台に移す。
出発を前に主治医だったK山先生が来てくれた。
父の「先生、またお会いしましょう」という言葉に
「そうですね、またお会いしましょう。病気以外でね!」と答えてくれた。
K山先生、夜中に救急車で運ばれた時から父を診てくれてありがとうございました。
若くてかわいい看護婦さんたち、
こんなに寝たきりだったのに床擦れひとつないのは皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
ストレッチャーでエレベーターの前まで行くと、看護婦さんがひとり走ってきて
父の手を握り「よかったね、がんばってね」と声をかけてくれた。
ここで一気に感情が抑えられなくなってしまった。
あの朝、父が倒れたと連絡が来てから、このような日がくるのをどんなに望んだか。
その日をこうして迎えることができて、だれにどう感謝したらいいのか。
ぽろぽろ涙をこぼしながら9階から1階へエレベーターで降りた。

父と母は先生の付き添った寝台車で、
私は荷物とともに自分の車で転院先の病院へ向かった。
自分がよく知ってるかかりつけの病院に移って、父は安心したのか
とても穏やかで落ち着いている。
ここでいよいよリハビリが本格的に始まる。頑張れ!
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by siesta_cat | 2008-05-26 08:25

奇跡の爺さん・・・2。

5月13日
この頃の父は意識もしっかりしてきて、いろんな話しをする。
ちょっと的外れなことも言うが、
それは長期間眠っていたせいだということで徐々に治っていくという事だ。
父曰く、頭の中でいろんなことをつなぎ合わせている最中、なんですと。
先生から話しがあると言われてナースステーションにて話しを聞く。
これまでの経過と、今後の話だ。
入院してすぐに使われた造影剤の副作用は、アナフィラキシーで
とても強いものだった。これはショックだった。命を落しかねなかった・・・。
そんな副作用が出てしまったので、同じ造影剤を使う検査はできなくなった。
そこで造影剤を使わない検査と、違うタイプの造影剤を使う検査(MRIとMRA)を
何度か繰り返したが、やはり出血箇所は見つからなかった。
これはどういうことかというと、出血とともに血管の瘤が一緒に吹き飛んでしまったのではないかということらしい。
まれに(何万人かに一人)こういうタイプの方がいるんですよ、その場合の完治率はとても高いんですよ、と先生。
脳の損傷はないし、これからはリハビリをやって行った方がいいということだった。
防衛医大にはリハビリの専門医は3人しかいないので、リハビリ病院への繋ぎとしてくらいしか対応できないので、父もリハビリができる病院に転院を視野に入れ始めたそうだ。
そこで最初に父が救急車で運ばれたかかりつけのY病院。
Y病院での父の主治医であるK先生(脳外科医)は防衛医大でも診察を週1回持っているし、よく知っている先生なので、この話しを持ちかけたそうだ。すると「木曜日なら受け入れられるよ」という返事がきたそうだ。
リハビリ病院はとても数が少なくて、大抵1~2週間は待たされる、そこで早めに話しをしたら即答だったのでこちらもちょっとびっくりしている。こちらとしては呼吸器の穴をあと1週間くらいで塞いで、それからくらいを考えていたが、転院先のK先生はよく知ってる方だし信頼できる先生で、その先生が引き受けると言ってくれてるので良い話ではないかと思った、という話だった。
ご家族で相談して明日の朝に返事をください・・・って言われても突然でびっくり。
5月14日
家族の心配は、やはり「完治」していないということ。
防衛医大では病棟に必ず脳外科の先生が夜勤でいるので、突然夜中に何かあった時の対処ができるだろう。しかし、今度の病院は必ずしも夜勤が脳外科の先生とは限らない。そのときの事が心配だ。そのときにはまたここで診てもらえるのだろうか。
朝、先生にその点を聞いてみた。
「Y病院で対処できないことが起きたらこちらで診ることはできますよ」
この言葉を聞いて決断した。「Y病院に転院します」
父は信頼する大好きなK先生が引き受けてくれたと聞かされとてもとても嬉しそう。

父は本当に奇跡の爺さんだよね・・・。
最初に希望したY病院でK先生が夜勤だったこと。満床で入院はできなかったけど防衛医大に運ぶよう手配してもらったこと。アナフィラキシー・ショックに負けなかったこと。その副作用の肺炎と腎不全にも負けなかったこと。何万人に一人のくも膜下出血だったこと。手術もなしですんだこと。脳の損傷も無かったこと。そしてこんなにもスムーズに転院が決まった・・・・・・上げていったらきりがない。
父の運の強さがこの奇跡のようなことを起していった?
でもね、この奇跡の裏には先生方の苦労がいっぱいだったんだよ。
もっとしっかりしてきたらいっぱい聞かせてあげるからね。
覚悟しといてよ、パパちゃん。
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by siesta_cat | 2008-05-21 09:40

奇跡の爺さん・・・1。

父のことで励ましやお見舞いの言葉をいただいたのに
お返事ができなくて申し訳ありません。
1ヶ月もブログをサボり、父の容態を気にしてくださった方に報告もできていません。
本当に申し訳ありません。
父は「奇跡の爺さん」としてがんばっています。

4月23日
ICUから脳外科の一般病棟個室(監視カメラ付き)に移り、覚醒させるためにずっと投与していた眠るための薬を中止。
4月25日
時々目を開け、何か言いたげだが、はっきり起きているかはわからない。
4月26日
顔をしかめたり「苦しい?」と聞くと首を横に振ったり、電気をつけると灯りの方をぱっと見たり。前日よりしっかりしてきたように見える。
4月28日
一生懸命話そうとしているが、呼吸器がついているので話せない。

5月に入ってすぐ「話せる呼吸器の弁(正式な名前はわかりません)」を付けてもらい会話ができるようになった。手を振りながら病室に入った私を見て第一声「おまえ、手なんか振ってる場合じゃないよ!」この頃の父は夢と現実との区別がつかず、私が死んでしまったと思い込んでいたのだ。他にもいろいろ変な事を言い出し、先生や看護婦さんにつっかかっていた。
自分の身体がどんな状態かも理解できてないので「起きたい」とか「トイレに行く」とか言い出し困らされた。点滴を抜いたり、鼻のチューブを抜いたりと困った事もいろいろやってくれたので家族がいないときはベットに手と胴を拘束されてしまった。
5月7日
入院して初めて口から食事ができた。が、ゴハンはおかゆだがいきなり鮭の切り身がどーん。しかも自分で食べろと。できなかったら介助していいですよ・・・って、指導も注意もナシで。
味噌汁の汁とおかゆ、鮭を細かくほぐしたのをちょっとづつ食べた。とてもうれしそう。
5月8日
となりの4人部屋に移る。
初めはご機嫌もよく、よく話していたが、午後熱が出て夕食もほとんど食べられず夕方には40度になってしまった。先生が駆けつけ点滴開始、抗生剤で様子を見ることに。
5月9日
心配だったので早めに病院へ行くと、熱はすっかり下がりほっと安心。
前日の熱は肺炎を起こしかけたため。その原因はどうやら「誤嚥(ごえん)」。
飲み込む力が弱く、気管や肺に食べ物が入って炎症を起こしてしまうのだ。
ふつう咳き込んだりして外に出そうとするが、その力も弱いのだ。
あ~2日前から食べ始めたもんね。
またまた鼻チューブからの栄養摂取に逆戻り。

<続きはまた後で。>
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by siesta_cat | 2008-05-19 10:11